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恋愛から結婚へ
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恋愛
失恋について
堀 秀彦
失恋はほんとに苦い経験です。太陽が光りを失い、この世のなにもかもが真暗になったような経験です。愛するということが、人間として、自分や自分をとりまく一切のものを光り輝かす経験であるとすれば、失恋はまさに暗黒のなかにつき落された経験です。けれども、暗黒を知った者だけが、光りと明るさの素晴しさを知ることができるのだとも考えられます。いちども恋をしたことがなく、だからまたいちども失恋したことがないーそういう人よりも、恋をし失恋の苦しさと暗さを知った人の方がもっと仕合せだと誰かが言っていますが、たしかに、闇を知った人間だけが光明を知ることができる、つまり、それだけ仕合せであるとも言えます。ところで、失恋とは一体どういうことなのか。なぜいまも書いたように、そんなに苦いそして真暗な経験なのか。失恋という経験のなかには三つの失望ー時には絶望がふくまれているように思われます。第一の失望それは愛するということに対する失望です。どんなに愛しても、ムダであったという失望です。言いかえれば、自分があんなにもあの人を愛したのに、自分の愛は相手に通じなかった、いわんやまた相手をこれっぽっちも動かすことがなかったのだという失望です。ダンテは「愛は山をも動かす」と歌っているが、山を動かすどころかゆすぶることさえできなかったではないか、そのひとに対する自分の愛がどれほど真実なものであったにしろ、その「真実」は少しもその人に通じなかったではないか、愛するなんて虚しいことだ、人間の真実な気持なんてとるに足りないものなのだ、真実な気持はいつかは相手に通ずるものだなどという考えは甘すぎるのだ、人間などというものはそれほど真実というこどが判る動物でないのだー失恋したひとはこんな風に考えるだろうと思います。そしてこれほど人間として苦い思いが他にあるでしょうか。愛は通じないものだ、」愛はだからそれほどの値打ちのあるものではないーこんな風に考えねばならないということは、ほんとうに人間としてこの上ない悲しい経験です。けれども、人間はほんとうに愛というものにとことんまで絶望できるものでしょうか。愛などというものはたよりのないものだ、私はもう愛というものを絶対に信用しない、こんな風に自分に言いきかせ、それで納得できるほど、人間というものは愛に対してサッパリした性分をもてるものであろうか?私にはどうもそんな風にぱ考えられないようです。それどころか、人間の愛情なんて頼りないものだ、こう考える下から、でもどこかにきっと真実の愛惰があるはずだと考えずにおれないのが人間であるように思われます。言いかえれば、たった一度や二度の失恋の経験で人間の愛の泉がカラカラにかわき切ってしまうほど、人間の愛は貧弱なものではないように考えられます。美しい言葉で言えば、人間の愛情は不死鳥のようなものかも知れません。それは苦しみのなかで完全に焼きつくされ燃えきってしまったと思われる言わば愛情の灰のなかからでさえ、もう一度生き生きと新たによみがえってくるもののように思われます。失恋によって愛や愛の能力がもはや死滅してしまったのだと考えるほど、軽卒なことはないようです。それどころか、愛に失望したこころは、丁度草を焼いたあとの山肌のように、もう一度力強く新鮮な愛の若芽を吹き出すのではないでしょうか。私にはそんな風に考えられるのです。失恋の苦しみをなめたこころだけがほんとうに今度こそ愛するこ、とができるのだ、私はそこまで言っているのではないのです。失恋した人に私は気休めを言っているのではないのです。それどころか、人間の愛というものについて、その性こりもない根強さにっいて、その聞き分けることを知らない根深さについて書いているのです。第二の失望それはあなたが女性、であるとしたら、男性に対する失望です。男とは何とまあ、判りのおそい動物であろう、何とまあ非情な人間なんだろう、そして何とまあ女性の上っ面しか考えない人間であろう、心にもない御機嫌取りやお世辞に対して何とまあ抵抗力のない人間であろう、自分の機嫌のいいときには、さも私を愛してでもいるかのように見せかけ、思い込ませながら、ほんとうはまるで愛してなんかいなかったのだ、何とまあ調子のいい軽薄な生物なんだろう、愛情よりも生活の方がもっと重要な問題だなんてー何とまあ、えげつない物質主義者なんだろう。
ーこういうと、男というものに対してあらためて失望せずにおれないのが失恋のようにも見えます。失恋とは、一度の報われざる愛の経験によって、男というものを思いきりよく、ああだ、こうだと評価しきってしまう経験だとも考えられます。そしてもしそういう風に言えるとしたら、こういう失望ほど理屈に合わない、いやそれどころか倣慢な考え方があるでしょうか。あつものにこりてナマスを吹くという言葉がありますが、あつものにこりてナマスを吹く人間は、あつものが何であるかもナマスが何であるかも、ほんとうに知っていない人間だと思われます。言うまでもなく、男にしたっていろんな男がいるのです。その上、あなたがた若い女性はいままでいちども男というものを研究したことも、じっくりと眺めたこどもないのです。生まれてはじめて偶然に出会ったひとりの男に恋をし、その恋こころを裏切られたーだからといって、「男というものは」といった風に、頭からきめてかかってよいものでしょうか。それにまた女と生まれて、たった一度のにがい経験で、男というものに一切見きりをうけてしまうなんて、幸福なことでしょうか、賢明なことでしょうか。この点で、ぱっきり言えば、男の方が健忘症なのか、真剣でないのか、貧欲であるのか、それは判りませんが、男は性こりもなく何度でも女に恋をします。女というものについて夢を見ます。たった一度の失恋で、男全般を見捨てるなんて、軽卒過ぎるのではないでしょうか。
ただ私はここで一言注意をさしはさんでおきましょう。あなたが失恋してなげき悲しんでいるとき、小説や映画にもよくあるように、きっとあなたのかたわらに同情者があらわれます。すると、あなたは他愛なくその同情者にひきつけられてしまうようです。これはあんまりよい意味の恋愛ではないと思います。なぜなら、同情することと恋することは、似てはいますが、まるでちがった人間関係なのですから。第三の失望は、自分自身に対する失望です。そしてこれが一ばん怖ろしく一ぱん悲劇的な失望のように思われます。失恋して自殺する人がいます。その自殺の原因は言うまでもなく自分自身に対する絶望なのです。私は拒絶された、私は思いちがいをしていた愚か者だった、考えて見れば、私のどこに男の人に愛されるだけの値打ちがあろうか、私は容貌にしたって五人なみではないか、たった五人なみの器量しかもっていない私が恋をするなんて第一思い上った行いであったのだ、私のような人間は失恋するにふさわしい人間なのだ、私自身にしたって、曽て、私自身をほんとうに愛したことがあるだろうか、自分でも愛することをしなかった私という女をどうしてあのひとが愛してくれるなんてことがあろうか、私は恋なんかしてはならない女だったのだ、それだけの資格も値打ちもない女だったのだ、私は失恋していま始めて自分というものの無価値さが判つた、私は生きる値打ちがないのだーまあ、こういった風に、失恋はしばしば自分自身を打ちのめしてしまう経験のようです。たしかに、ひとから愛されていると感ずること、あるいは知ることは、それだけ、自分を素晴しい人間だと思い込ませるに足ることです。ですから逆に愛されてはいなかったと知ることは、自分の無価値をあらためて思い知らされることです。けれども、人間がひとりの人間の値打ちを残りなく知り得るなんてことがあるものでしょうか。あなたはひとりの男性から相手にされなかった、つまり、その男はあなたの女としての美しさや値打ちに一顧もあたえなかった、ーが、だからといって、その男のあなたに対する評価は正しいものと言えるでしょうか。その男性があなたの愛にこたえることをしなかったのは、その男性があなたという女性の値打ちを見損った、知らなかったからではなかったでしようか。若い男性が(ー同様に若い女性がー)ひとりの女性を見る眼は、いつも一面的なものです。その女性の一つか、せいぜい二つの面を見るだけで、それでその女性を評価してしまいやすいのです。かりにあなたのなかに素晴しい値打ちがひそんでいるとしても、彼にはそれに気のつかない場合ボ多いのです。実際、人間を見る人間の眼ほど信用のおけないものがあるでしょうか。
たった一度の失恋で、われと自分を投げうち、見捨てるのは、文字通り、玉をなげうつ軽卒な行為のように思われます。人間は、ほんとうのところ、男も女も、自分のなかにどのようなものが、どのような美しさや醜さがひそんでいるものか、まるっきり知っていないのです。失恋のためにいわゆる劣等感をもち、それに悩む女性がいるとしたら、私ははっきり書きましょう。「劣等感」なんて、好い加減なレッテルに過ぎないのだ、自分は貧しく、みにくい女性だーかりにあなたがしんからこう思い込んでいるとした場合、世間の人は、だからといって、あなたを全然相手にしないでしょうか、それとも、かえって、そういうあなたのなかに人間的謙虚の美しさを見出す人がいるかも知れないではありませんか。私はヘリクツを言っているのではないのです。私の言いたいこと、それはこういうことなのです、人間は誰も自分自身をほんとうに知ってはいないのだということ、第二に、世間の人たちの自分に対する評価は決して判で押したようにみんな一律のものではないということ、第三に、だから、世間の人のひとつの評価をもって、自分自身をそのまま評価することが早まった愚かな行為であること。失恋した女性がひとり残らずみんなつまらない女性で、得恋した女性がみんなステキな女性だなんてどうして言えるでしょうか。それどころか、人間はみんな美しいもの、ステキなものを、どこかしらに持っているものだと思います。とりわけ、若いひとは、若いということだけで、美しいのです。ステキなのです。私は年をとって、つくづくそのことを感じます。植木も動物も人間も、若いかぎり、みんなこの上なく美しいのです。私の言い方が抽象的だとおっしゃるかも知れません。けれども、抽象的なことを言ってるのではないのです。若いひとの眼、皮膚、身体全体の容姿、精神の水々しさ、みんな具体的な美しさではないでしょうか。あなたがいまもし失恋したばかりの女性だとしたら、まず思い切り泣いた方がいいと思います。泣いて泣いて涙のかれるまでお泣きなさい。涙と時間、これだけが失恋の傷をあらってくれる一ばんよい薬品のようです。第二に、失恋によって、愛の能力があなたの中で決して消えたのではなく、逆にふかまり強くなるのだと考えて下さい。失恋によって人を見る眼がふかまってきます。豊かになってきます。あなたの心は深く彫りを持ってきます。あなたの人柄全体がうるおいと落着きとやわらかさをたたえます。ーそしてそのことが、これからさきあなたの新しい魅力になるのだとも言えないでしょうか。
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